千代田区 税理士が勢揃い

二○○七年九月の月初に比べて、実に九三%ダウンの水準である。 ○億ドル超に達した。

アメリカ史上、最大の倒産劇である。 サブプライム問題のからくりそのものについては、次の節で改めて取り上げる。
そもそも、投資銀行とは何かという点についても、後述する。 まずは、事態の推移を追って次は自分たちかリーマン社の破綻はそれだけに止まらなかった。
開いてしまった地獄の一扉からは、次々と亡者どもが這い出して来た。 リーマン社に続いて出て来たのが、同じく投資銀行のメリルリンチ社である。
リーマン社の救済協議に参加する中で、メリルリンチ社は実は我が身も危ないことに気づいた。 リーマン社が倒産すれば、連鎖的に危機に巻き込まれそうな状況にあることが判明したのである。
リーマン社をどうすれば救えるかを協議する中で、投資銀行たちは改めて事態の深刻さと厄介さを認識し始めていた。 そこで彼らがさかんに口にしだしたのが、いわゆる「カウンターパーティ・リスク問題である。
カウンターパーティは「相手方」の意だ。 金融取引上の契約相手のことである。
契約先が事業に失敗して債務不履行に陥れば、自分は特に無茶をしていなくても、やはり損失を蒙る。 被害が大きければ、自分も倒産してしまうかもしれない。
これがカウンターパーティ・リスクである。 リーマン社の経営状態が明らかになるにつれて、他の投資銀行たちはリーマン社に関する自分たちのカウンターパーティ・リスクを洗い出してみる必要に迫られた。

その作業が行われる中で、メリルリンチ社とリーマン社のつながりの強さがさかんに取り沙汰されるようになる。 「リーマンがつぶれれば、次はメリルリンチか?」このささやきがあちこちから上がり始めた。
メリルリンチ社がリーマン社との関係で実際にどれだけの二者間リスクを背負っていたかは公開されていない。 だが、いずれにせよ、最終的にはメリルリンチ社自身が、リーマン社との関わりをこれ以上続ければ、カウンターパーティ・リスクが大きくなり過ぎると判断するに至った。
貸し倒れ倒産の脅威がメリルリンチ社に迫っていたのである。 信用の連鎖が無限に広がる金融自由化時代だ。
その最先端を疾駆する投資銀行の世界では、信用の連鎖の網の目を介して誰が誰とどうつながっているか解らない。 誰もが誰かのカウンターパーティになっている。
「つながり過ぎていてつぶせない。 」それが彼らの合言葉になっていた。
かつては、もっぱら「大き過ぎてつぶせない」かどうかが、倒産に瀕した金融機関に救いの手を差し伸べるか否かの判断基準だった。 だが、今や、むしろ、誰が誰とどうつながっているかが問題になる時代だ。

それ自体はさして大きくなくても、地球を包み込む金融のクモの巣の中で、どんなコネクションの中に組み込まれているかによって、その金融機救いを求める投資銀行関が消えてなくなることの重みが決まる。 だからこそ、当初はリーマン社救済のための奉加帳に誰もが署名しようと思ったわけである。
ところが、いざ、災禍が我と我が身に降りかかつて来るとなれば、もはや背に腹は代えられない。 人のことを考えているゆとりはない。
いくら、「つながり過ぎていてつぶせない」といっても、つぶさない責任は結局のところ誰も負いたくはない。 「つながり過ぎていてつぶせない」は、事態が極限的に切迫してくると「つながり過ぎているから救えない」という論理にすりかわってしまう。
救いの神は誰かほかのヤシがやってくれと言い残して、皆、保身のために逃げ出すのである。 実をいえば、その行動が事態をますます悪化させるのであるが、嵐の中ではそんなことに頓着してはいられない。
誰もが、我が身可愛さの単独行動に走る。 かくして救世主が一転して救いを求める側となり、メリルリンチ社は急遼、必死の身売り作戦に出た。
その結果、商業銀行大手のバンク・オブ・アメリカの傘下に逃げ込むこととなったのである。 なぜ、商業銀行に救いを求めたのか。
投資銀行と商業銀行の最大の違いは、預金を受け入れるか否かにある。 投資銀行は預金受け入れ業務をしてはいけないことになっている。
行うのはもっぱら証券業務だ。 その意味で、投資銀行を証券会社と言い換えてもいい。
ただ、基本は機関投資家相手の商売だ。 一般投資家相手の小口ビジネスは本務ではない。

あくまでも玄人による玄人のためのバンキングであり、証券業務である。 それが彼らの存在意義であり、強みでもある。
だが、今回のような異常事態の下では、それが最大の弱みにもなる。 預金という資金プールがないから、あてにしていた資金の出し手が倒産するとか、何らかの理由で投資を手控えられたりするようなことが起きれば、たちまち、資金枯渇に陥る。
いったんそうなってしまえば、なかなかそこから立ち直れな。 それは当然だ。
誰も、資金調達に四苦八苦しているような金融機関にカネを貸すわけ安心してカネを貸せる相手とみなされるためには、投資銀行は、好業績と派手な金融イノベーションで華麗さを常に演出していなければならない。 そのプレッシャーが彼らをますます危ない橋を渡るリスク・ビジネスへと誘っていく。
ところが、そのリスク・ビジネス志向そのものが、下手をすれば今回のように命取りになってしまう。 そんな彼らに比べれば、商業銀行は地味な存在だ。
だが、彼らは預金という名の強い資金基盤を持っている。 それが喉から手が出るほど欲しくて、メリルリンチ社はバンク・オブ・アメリカによる買収提案を受け入れた。

投資銀行としての独立独歩の経営を放棄してでも、豊富な資金力を持つバンク・オブ・アメリカの下で生き延びる道を選んだのである。 かくして、たった一日のうちに、多少とも金融業界に関心があれば、誰でも名前を知っている大手投資銀行が、かたや倒産、かたや身売りに追い込まれたのである。
これが世の中を震憾させないはずはなかった。 AIGが窮地にだが、亡者の行進はまだまだ止まらない。
リーマン社とメリルリンチ社の命運が明らかになるにつれて、金融激震は思わぬところに波及した。 その矢面に立たされたのがAIGだった。
世界最大の保険会社である。 いわば経済の世界の安全保障の巨大な担い手だ。
その安全の番人が、リーマン・ショックに足を取られて窮地に陥ったのである。 AIGの場合、命取りとなったのがいわゆる「クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)」である。
端的にいえば、金融商品に関する債務不履行に備えた保険ビジネスである。 クレジット(信用)に関するデフォルト(債務不履行)・リスクを、保険金を払い込むことと引き換え(スワップ)に保険会社に肩代わりしてもらうという仕組みだ。
競ってハイリスク・ハイリターンビジネスを展開し、危ない橋を華麗な足さばきで渡る姿を誇示する投資銀行たち。 そんな彼らにまさかの時のための落下保険を提供する。
その旗頭となったのがAIGだったわけだ。 危ない橋の渡り手たちが確かな足さばきを続けている限り、CDSビジネスもまた、華麗な発展が期待出来た。
だが、いったん、実際に橋から落ちるパフォーマーたちが出て来れば、状況は一変する。 スワップ方式で引き受けたデフォルト・リスクが、保険会社の肩に重く厳しくのしかかる。
そんな状態に陥れば、保険会社そのものへの信任が低下する。

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